Before 寄付 him!必ずしも善行ではない


<<寄付はいつ、どのくらいするのが最適なのだろうか?>>

街頭で大学生が必死そうに呼び掛けている時から小銭の10円。片足がない犬がグッタリしていて可哀想だと感じたから50円。困った時はお互い様だと震災直後に幾つもの募金が立ち上がった▼彼等が事実上の寄付金を義援金と称したのはなぜか

以前、アメリカの西部から陸路で観光の為にメキシコに入国したことがある。軽い荷物検査のゲートの先には明らかに観光客の目につくように物乞いをする方々が大勢座っていた。▼ーあげなくていいの?ーあまり見ないようにしなさい。いつもは寄付活動を見かけると小銭を私に握らせた母だった。

イギリスには「シークレットミリオネア」という人気番組がある。
大金持ちが失業者を装い約一週間貧民生活を体験し、貧乏になったのはその人の努力が足りないからだ!寄付などあり得ない!という考えを変え、数人の市民に同情してウン百万円寄付をする様子を放送する番組だ。▼大金持ちはこの時に何を考えているのだろうか?
寄付をすることはほとんど例外なく美談で、君主による徳のある行為、素晴らしい行為、に違いないのだけれども…

その目的は?
[自分より貧しい者の救済手段]
素晴らしいじゃないか!
が、なぜまず最底辺の人々を救済しようとしない?義援金を送る人々よりも生活環境の悪い人は沢山いるのに!

ならばこうゆうことになる

[自分に関係があって、困難に直面している者の救済手段]
震災に関しては被災した日本人。大金持ちにすれば関係した貧しい人々を救済する。

寄付に値する者の枠組みを寄付をする人が個人の意志で勝手に決定し、該当する人々のみを救済する。それが寄付だといえる。

これは学校の先生が数人を贔屓して特訓してやるというような事態と何ら変わらない。だから生徒を特訓するという事自体は素晴らしいのだが、何故か(ある種必然だが)他の生徒から妬みや批判が生じる。それらを総括して贔屓は最大幸福を導くのかどうかを判断する必要がある。

社会に対し自信を持って「あいつにこれだけ寄付がしたい!!」と言えるかどうか。その行為が誇れるかどうか。誰でも寄付をする立場に立つ際は一度考えなくてはならないなぁと思うのだかどうだろうか

堅苦しくて長い文書を書いて疲れました(~_~;)
これからはもっとラフにいこうと思います(笑

意見下さるとありがたいです
まだ若輩者なので
では( ^_^)/~~~